2002.8.11(日)
高田城外堀のハス群
新潟県上越市本城町 高田公園
北陸自動車道「上越IC」または上信越自動車道「上越高田IC」より
信越本線「高田」駅下車 徒歩約20分(タクシー利用がお勧め)
 
高田城は、慶長19年(1614)、越後福島城主だった松平忠輝(
徳川家康の六男・当時22歳?
夫人は伊達正宗の娘五郎八
いろは ) の居城として築かれました。福島城(上越市港町2丁目)を廃
して高田城を築いた理由の一つに、幕府の命による国役普請で有力外様大名の勢力を弱める
意味があったようです。また、上杉家の旧領地を抑え、加賀の前田家にも備える為にも、家康は
実子忠輝を謙信の故地に入れたのでしょう。築城は、前田・上杉氏などの13大名が、忠輝の舅に
あたる伊達政宗の陣頭指揮の下に行われました。関川・青田川・儀明川の流路を変える難工事を
乗り越え、石垣を用いず土塁をめぐらし、天守閣も作れませんでしたが、着工わずか4ヶ月足らず
で完工。しかしそれも在城わずか2年で改易、元和2年(1616)
伊勢朝熊へ配流の身となりました
忠輝60万石(75万石とも)は以後七転し、最後榊原家でようやく安泰することになります。
武勇も、兄弟の中では優れていると言われた 忠輝ですが、切支丹疑惑( 五郎八姫は切
支丹
)の他、伊達政宗の野望に、家康が先手を打って阻止 したのだとも言われています。
明治以降、城郭は、地震や火災によって全焼してしまい跡形もない状態でしたが、文
書や古絵図、発掘調査等をもとに、三重櫓が平成5年
(1993)旧位置に復元されました。

ハスに関する話は、2001年8月12日付の「東洋一の高田公園のハス」へ。

ハスの写真は朝が良いとはいうものの、出かけたのは蒸し暑い曇の午後、風はびゅう
びゅう吹きまくり、花は閉じかかっていました。今年はさらに、花が少ないように見え
ましたが、どうやら地下茎の過密状態が影響しているようです。写真では分かりません
が、ところどころ水面が見え空白状態の個所が目立ちました。上段2枚は、外堀の西側
のハスで、野球場対岸と厚生会館前の2箇所で撮ったものです。下段2枚は外堀北側方
面を撮ったもの。今年はこちら側のハスが良く咲いているとのことです。蒸し暑くって
今年も全部見ることが出来ませんでした。せめて来年こそ、南側方面に行って見たい!
 
右の写真、奥の山は大手町小学校の校歌にも歌われる南葉山。手前の山はスキー発祥
の地・金谷山です。記念館とレルヒ少佐の像があります。ジャンプ台もあった筈ですが
・・。3年間、朝はあの山並みを背に夕方は正面に見ながら、高校に通ったものです。
   
品種名が断定できないので、あえて載せませんが、5種類のハスが確認できました。