2011.3.11(金)

ミモザを探しに

浜松市北区細江町気賀 奥浜名湖オレンジロード&奥浜名湖展望公園
三ケ日ICゲート手前で右折したまではよかったけれど、もう一度右折して奥浜名湖オレンジロード(308号線)に入らなければ
いけなかったのに、そのまま直進してしまい、ちょっと変あれえ・・と思いながらも、ついには68号線にぶつかってしまうという大ボケをや
らかしてしまいました。雨が降ったりと、さい先良くなかったなあ。結局、振り出しに戻って、よくよく見ながら走って、なんのことはなく目
的のオレンジロードに入りました。そろそろミモザが見える頃かなあと、ふと見ると、道路脇に、以前は無かった小さな公園のような休息
所が。駐車場もあってなにやら案内板が。そこには、「奥浜名湖展望公園」とありました。即訪ねてみることに。くねくねと降りて、362号
線に降りちゃうくらいまで下って、今度はUタ〜ンするように右折して、細い農道 (ぼっこぼこの超悪路。車高の低い車はダメです。) を
登ります。脇道はなかったし、間違ってはいないけれど、なんじゃいこれは、車が下りてきたらどうしたらいいのさ、と思いつつ進むと、
唐突に開けた整備された広い駐車場に出ました。その先の小高い所に展望台がありました。なるほど確かに見晴らしはよさそうです。

北側方面。正面に尉ヶ峰(ちゅうがみね 433m)。左の山、尉ヶ峰林道(奥浜名湖スカイライン)沿いにあるパラグライダーの発
着場(浜松フライトパーク)が見える。手前から右にかけてチラチラと白いガードレールが見えるのは、奥浜名湖オレンジロードです。

 東側方面。左端の山が三岳山(みたけさん 466.8m)。三岳山右後方に風車9基が見えました。浜松市北区滝沢町・宇津峠か
ら北区引佐町・三岳山へと連なる尾根沿いに立てられた浜松風力発電所の風車(10基)です。サシバの伊良湖岬(愛知県田原市)
への渡りのルートと重なると自然保護団体より指摘され、建設中止の要望書が提出されましたが、2009年11月より稼動しています。

 南方面。中央寄り左の地平線付近に微かに浜松市街のアクトタワーが。東名浜名湖橋と大草山。その後ろが舘山寺。左手前を
姫街道(362号線)が湖岸沿いに走ります。右手前の山の木々の間から見える休憩所は、奥浜名湖展望公園・かおりの丘の東屋です。

西方面。左下に東名の湖岸沿いの高架。浜名湖が光ります。右奥は猪鼻湖。最奥に湖西連峰、さらに豊橋市が広がります。

 展望公園を離れ、再びオレンジロード(引佐峠)に戻ります。東(気賀・奥山方面)方面へ向かって、ミモザ探しの振り出しです。
斜面や崖側に野生化した木々が集中して生えている所で、古い下り農道口に駐車して、花を撮りに歩きます。黄色い花は元気の源
なんて、ガードレールに張り付いて接写しようと悪戦苦闘していた時、響き渡る轟音が。見上げた空に、空中警戒管制機が飛んでい
ました。おおっ久しぶりに見たあ。ばたばたと20m車まで駆け戻って、望遠カメラを取り出しましたが、すでにはるか彼方を飛行中でし
た。旋回しているようにも見え、しばらく眺めていましたが、消えてしまいました。基地に降りたのでしょうか。拡大画面は、2008年12月
に、気賀を歩いていて撮ったものです。浜松航空基地にはこれが4機(日本特注なので世界でも4機だけ)あり、常に日本の上空を飛
んでいて、その飛行ルートは極秘だそうです。撮影した時刻は14時49分。私がカメラを取りに走っていた、まさに46分頃、あの東北地
方太平洋沖地震が起きたのです。浜松市北区は震度3が観測されたようですが、走っていた?為か、まったく気がつきませんでした。

見上げた斜面に満開の大小5本のミモザの木がありました。午後の光に照らされて眩しいほどの黄色です。

崖側の倒れこむように咲いていた大きなミモザの木です。右上の枝は別物かと思うほどフッサフサに咲いていました。風でぶれぶれ。

 ミモザ     フサアカシア マメ科アカシア属 オーストラリア原産

細江町気賀から引佐町へと、くねくねと続く奥浜名湖オレンジロードです。ミモザに別れを告げ、三ヶ日町へ向かって帰途に
着きます。走り出してすぐに、カーラジオから、三陸沖に震度7という地震情報が入りました。え?何?落ち着かない思いで走ってい
ると、再び小雨がぱらつき出しました。家に帰って見たテレビの画面が映し出したものは、白波をたて押し寄せる津波が、堤防や港
や建物を破壊し、船や車や家を押し流し、川を逆流し、怒涛のごとく道路や田んぼを次々と飲み込んで行く、凄まじい光景でした。



さらに、被災したことで深刻なトラブルを引き起こした第一福島原発が、被害に追い討ちをかけ、未曾有の大震災となってい
ます。1万2千人の方が亡くなり、1万4千人の方が今だ行方不明です。そして、余震の続く中、15万人の人達が避難生活を余儀なく
されています。3月11日は、けっして忘れることの出来ない日となりました。被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。